一年ほど前に読んだが、強烈に感じるものがあった!「読み言葉」と「話し言葉」は違う!(こちら)
「英語はネット普遍語に!日本人バイリンガルで日本発信を」
今回はこれから英語で外国人と仕事をするうえに当たって、ちょっと頭の整理にと思って再読。
分かりそうでわからない、なんかムズがゆい状態。何度も何度も読み返したい本。これまで二回は図書館で借りたが、是非とも手に持ち繰り返して読んで、線を引き、折チェックつけたい。2008年十月発行だからそろそろ古本屋ででていないか!文庫本にならないものか!
自分の手元に置いておきたい本だ。
本の中から
・<真理>には二つの種類がある・・・読むという行為から考えると、それは、<テキストブック>を読めばすむ<真理>と、<テキスト>そのものを読まねばならない<真理>である。(それぞれが)<学問の真理>・・・<文学の真理>
→なんという問題!テキストブックで読めるものは他の言語でも理解できる。翻訳できるんだ。でも世の中には、そうじゃなくてその言語でないと分からない<真理>が、あるんだ!確かにその文化を分かっていないとダメなものもあるだろう、文化を知っていてもそれだけでは分からないものもあるだろう。分かりそうで分からない。なんか混乱してきそう。
・(映画をみてその小説化なる本を読むことで)人間は<書き言葉>を通じてのみしか理解できないことがある。<書き言葉>を通じてのみしか得られない快楽もあれば、感動もある。
→そうだったんだ!私が映画と本のコラボをするのは!本を読むことの快楽を得たかったのだ。
・ある文章が言っていることと、その文章が意味していること(saying one thing and meaning another)の違いというものは、すべての言語の本質にある、言葉の修辞学的機能から生まれる。
→分かったような分からないような....ムズがゆい表現、でも言えてる。表向きの表現とその本当に意味するものは異なることが良くある。
・読む快楽を与えない文章は文章でない。
→良い言葉だなぁ、本当に文章を読むのは「読む快楽」のためだもの。
・間違った言語観で、一言で言えば、<書き言葉>とは、<話し言葉>の音を書き表したものだという言語観だ。
→そうか!書き言葉と話し言葉は違う!だから英会話と英文読書は違うんだ。実際話するときも日本語でも違う。
ラベル:水村美苗