
「十九の春」を探して うたに刻まれたもう一つの戦後史
- 川井 龍介
- 講談社
- 1785円
書評/ルポルタージュ


★★★★★★★★★★ west32書評 ★★★★★★★★★★
聞きなれたものがどこから来たのか?と追いかけて行く、そのルーツを探すという試みは面白い。一つわかっても次々と派生する分からないこと、歌「十九の春」を追いかけてそんな迷宮のなかを著者はさまよう。
ルーツ、それは自らの出生につながる重要な事柄。私たちは先祖、自分のルーツはどこなのか?ということが気になる。私の場合は親の代を含め大阪だが、その前を辿っていくと、父方は神戸、母方は大和でずいぶんと長くいたらしい。父方の墓は江戸時代にも遡ることができる。そんなルーツを辿るのは関係者のおぼろげな言葉と書き記されたものから。
筆者は1975年(昭和50年)にヒットした田端義雄、通称バタやんの「十九の春」に注目した。これは色々な歌手、特に奄美・沖縄系の歌手が歌っているようだ。この曲はその地方で色々なメロディー、歌詞で歌われてきているらしい。その中で一人の奄美出身の唄者、朝埼郁恵が父の唄に似ているといったことをヒントにルーツを探す。探すと郁恵の父、辰恕がつくった唄「嘉義丸(かぎまる)のうた」に似ているらしい。これは戦時中アメリカ潜水艦の攻撃を受け沈没した船に乗っていた親子の悲劇を歌ったもの。
ところがまだ探してみると、沖縄返還前は最南端であった与論島でも似たような唄、与論小唄が歌われている。また沖縄でも同様の唄が歌われ、台湾との国境線に一番近い与那国島でも似た唄は歌われる。それぞれの地域で、男女の中でお互いが想いを詠んで返す唄、島の想いをつづったものもある。このため色々なバージョンの詞、節の唄ができている。地域を広げると、奄美・八重山の人たちは九州・島原、関西に出稼ぎで出ていたため、そちらで派生した唄もある。
そしてこの与論小唄の元歌なるものもあるらしい。ラッパ節というもので明治から大正にかけての演歌師 添田唖蝉坊が作って広めたものらしい。追いかければ次々と現れる事実、それに従い、探しているものは見つからず、知りたいことばかりが広がる。
「十九の春」の歌をスタートに物語は始まり、そのルーツを追って、奄美、八重山、島原、大阪、東京、横浜、満州そしてさいはての与那国島を廻る。色々なところで、節、歌詞も様々なものがあり、それを追う謎めく楽しみは深い。
ただ、残念ながら色々な話題に発散され、阪神から奄美・沖縄、台湾に広がる船の航路の中に断片が残り、結論とならないのは辛い。ルーツを追う楽しみは本当に面白いんだが....
ルーツを探す楽しみは、さまよう中にある。
(参考)
「嘉義丸(かぎまる)の遭難」
1943年奄美大島名瀬沖でアメリカの潜水艦によって沈められた貨客船。551人が乗船、乗船人20人を含む341人が犠牲に。
戦時遭難船:「遭難」(災難に遭う)が意味するのは「撃沈される」こと。(当時国益に反する否定的な情報であり、すべて機密扱い)
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